日経サイエンス  2003年5月号

特集:自殺は防げる

うつの治療で破局を避ける

大野裕(慶應義塾大学)

 年間の自殺者数が3万人を超えてから4年になる。交通事故死の3倍以上になる「こころの緊急事態」に直面して,厚生労働省も自殺予防に積極的に取り組み始めた。私も,いくつかの自治体と一緒にその活動に参加しているが,ときに,自分のような人間がそこまで踏み込んで良いのかとふと考えることがある。「生きる」「死ぬ」というのは,私たちひとりひとりのすぐれて個人的な問題だ。「自分で死ぬ手段を選んでも良いではないか」と言う人もいる。確かにその意見にも一理ある。

 

 しかし,自殺をしようとして思いとどまった人や自殺に失敗した人から「生きていてよかった」という言葉を聞くと,やはり自殺予防は必要なのだとあらためて思う。そうした人たちは,死のうと思ったその瞬間には他の考えが思い浮かばなかったという。「死ぬしかない」と決めつけていたそうだ。

 

 自ら死ぬことを考えている人と話をすると,「自分なんかいない方がいい。迷惑をかけてるだけだから」と言う。そのようなことはないと話をしても,なかなか受け入れてもらえない。

 

 実際に,まわりにいる人たちは心配している。何とか手助けをしたいと考えている。それが目に入らない。自分が死んでもまわりの人は「一時的には悲しんでもすぐに忘れる」と言う。忘れてほしくないと思いながら,そのように自分に言い聞かせているところもあるようだ。

 

 大切な人を自殺で失ったつらさをまわりの人が忘れることは決してない。実に残念なことだが,私の治療中に命を絶った患者さんも何人かいる。その人たちのことを私はいつまでたっても忘れることができない。ことあるごとに思い出す。助けることができなかった自分の無力さが,悔しくてたまらない。他人の私がそうなのだから,親しい人はなおさらのことだと思う。

 

 死を考えている人は,そのような他の人の気持ちを意図的に気づかぬふりをしているわけではない。多くは,うつ病などの精神疾患のためにわからなくなっているのだ。いつもならできる論理的判断ができない状態に追いつめられている。

 

 私たち医療関係者が減らすことができるのは,そうした状態で死を選んでしまう人たちの数だ。このタイプの自殺は,医療的かかわりや地域のネットワークの力で減らすことができるとわかっている。本人がいまうつ状態にあることに気づいて周囲に援助を求められるような,そしてそのときにまわりの人たちが手をさしのべられるような社会システムを作れれば,自殺を防げる可能性はでてくる。

著者

大野裕(おおの・ゆたか)

慶應義塾大学保健管理センター教授,医学博士。1978年に同大学医学部を卒業,精神神経科学教室入室。コーネル大学やペンシルベニア大学の留学を経て,母校に戻った。

サイト内の関連記事を読む

キーワードをGoogleで検索する

メンタルヘルスすること(doing)といること(being)自殺予防自殺防止うつ病の症状