日経サイエンス  2002年11月号

消滅する言語

W. W. ギブス(SCIENTIFIC AMERICAN編集部)

 10年前に言語学者のクラウス(Michael Krauss)が発表した予言は学界に衝撃を与えた。世界に約6000ある言語のうち半数が,今後100年以内に使われなくなるというのだ。
 クラウスはアラスカ大学フェアバンクス校の教授。アラスカ先住民言語センターを設立し,現地に残る20の先住民言語の保護に取り組んでいた。これら20の言語のうち子どもたちに教えつがれている言語は2つだけだった。いくつかの言語はすでに少数の高齢者の記憶にとどまるだけになっており,そのほかの言語も急速に使われなくなっていた。
 このアラスカの状況は世界各地の現状を象徴している,とクラウスは当時の米国言語学会の学会誌で述べた。そして科学者と現地共同体の指導者たちが先住民言語の衰退を押しとどめる努力を世界規模でしない限り,人類の言語の9割が消滅し,多様性が失われる運命にあると警告した。

 

世界の言語の半数が消滅?
 クラウスの予言は経験にもとづく推測の域を出ないが,他の著名な言語学者たちも同様の警鐘を発していた。マサチューセッツ工科大学のヘイル(KennethL. Hale)はこれまで現地調査した言語のうち,すでに8つの言語が使われなくなり消滅したと,その学会誌の同じ号で記している。オーストラリアで1990年に行われた調査によると,先住民の言語で現存する90の言語のうち70は,もはやすべての世代で日常的には使われなくなっているという。
 米国でも状況は同じだ。先住民の言語のうち,今も母語として話されているか知識として残っているものは175あるが,そのうち日常的に使われているのは20だけだ,と1992年の米連邦議会の委員会でクラウスは報告している。
 一見,言語が統合されていくのは悪いことではないように思える。言語の統合は民族間の緊張を緩和し,グローバルな経済活動にとっても有益だ。言語学者もこの点は否定していない。多くの場合,少数派の共同体の人々は(しばしば無意識に)自らの言語を捨て,多数派の言語に切り替える。それによって社会的・経済的な地位が向上すると信じているためだ。こうした事情も言語学者は認識している。
 それでもいくつかの理由から,言語学者は少数言語の消滅を嘆かずにはいられない。まず純粋に科学的な関心がある。言語研究が扱うもっとも基本的な問題のいくつかは,人間の言語の構造や規則性にはどのようなものがありうるのかという謎に関連しているが,この謎が解明されたとはまだとうていいえない状況だ。
 たとえば言語の文法や語彙の構成要素のなかで,すべての言語に普遍的なものがあるのだろうか。もしあるとすれば,それは人間の脳にもともと備わっているのかもしれないが,いったいどんな要素なのか──こうした問題を追求している言語学者は多い。また系統の異なる言語間での借用語を比較して,過去の民族移動のパターンを再構築しようとする研究もある。どちらの場合も調べる言語の数が多いほど,正しい答えが得られる可能性は高まる。
 だがそれよりも「言語の多様性の価値は広く人類全体にとって重要なものだ」というのは,カリフォルニア大学バークレー校でアジアの少数言語を研究しているマティソフ(JamesA. Matisoff)だ。「ある社会の文化を考えるうえで,言語はもっとも重要な要素だ。言語が滅んでしまえば,その文化固有の知識も,独自の世界観も失われてしまう」。

原題名

Saving Dying Languages(SCIENTIFIC AMERICAN August 2002)

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