日経サイエンス  2002年8月号

クジラが歩いていたころ

K.ウォン(SCIENTIFIC AMERICAN編集部)

 クジラの出現は進化生物学者にとっては,最も難解な謎の1つだった。体毛も後肢もなく,淡水を飲みに陸に上がることもできない現在のクジラは,一般的な哺乳類のイメージからはかけ離れている。すべての哺乳類の共通祖先は陸に生息していたから,クジラもその祖先は陸上生活をしていたはずだ。だが,どうやって海に戻っていったのか,詳しいことはわかっていなかった。

 

 化石による研究では,クジラの起源はなかなかわからなかった。発見された化石は数も少なく,不完全だったり新しすぎたりして,起源の解明には役立たなかった。現在のクジラを解剖学的に調べてその奇妙な特徴を分析しても謎は深まるばかりだった。

 

 しかし,この20年で,数々の謎が解明されつつある。5500万年前から3400万年前の始新世の地層から多量のクジラの化石が見つかった。この時代は原始的なクジラが陸から海へと移動した時期にあたる。また,化石の研究と現在の動物のDNA研究とを合わせることで,クジラがいつごろどのように陸生の祖先から進化したかを推測できるようになった。4本の足を持つ陸上動物から巨大なクジラへの変容は,進化の歴史の中でも最も謎に満ちた大変貌といえる。

 

 高名な古生物学者のシンプソンは1945年に解剖学的な比較研究ではクジラと他の哺乳類の系統関係はわからないと明言した。それと同じころ,抗原・抗体反応を利用して動物の系統関係を調べる手法が登場した。シンプソンの言葉を受けて,ラトガース大学のボイデン(AlanBoyden)らは,その技法をクジラの謎の解決に応用した。その結果,クジラは現在いる動物の中では偶蹄類(ラクダやカバ,ブタ,反芻動物のウシなどのグループ)に最も近縁らしいことが示された。しかし,正確な関係は明らかではなかった。クジラ類の祖先は偶蹄類だったのか? それとも,同じ祖先から偶蹄類にいたる系統とクジラ類にいたる系統が分岐したのだろうか?

原題名

The Mammals That Conquered the Seas(SCIENTIFIC AMERICAN May 2002)

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