日経サイエンス  2001年10月号

シアン漁法が破壊する海の生態系

S.シンプソン(SCIENTIFIC AMERICAN 編集部)

 現在知られている毒物のなかで,シアン(青酸)化合物ほど即効性の高い物質は少ない。生物の体に取り込まれると,すぐに毒がまわり,酸素を運ぶ機能を麻痺させ,組織が酸欠状態になる。摂取量が多いと心臓の働きが弱まり,脳内の電気信号の伝達を止めてしまう。これほど強い毒性をもつシアン化合物が,魚を生け捕りにする格好の漁法として使われていようとは,にわかには想像できない。しかし,フィリピンやインドネシアではサンゴ礁にシアン化合物をまいて熱帯魚を生け捕る漁が日常的に行われており,両国で捕獲された観賞用熱帯魚は世界の市場全体でおよそ85%を占めている。

 

 どんなにすばしこい魚でも,シアン化合物で麻痺させれば,サンゴの枝の陰や裂け目に逃げ込むことができず,ダイバーは苦もなく捕まえられる。それだけでなく,シアン化合物の使用は深刻な後遺症を残す。専門家の推定では,サンゴ礁でシアン化合物を浴びた魚の半分が即死し,「最初の一撃」をしのいだ魚も4割が輸送中に死んでしまう。シアン化合物は熱帯魚を殺すだけではない。サンゴ礁にすむ他の魚や無脊椎(せきつい)動物,生きたサンゴが受ける打撃もはかりしれない。

 

 東南アジアには地球上のサンゴ礁の30%があり,ほかのどこよりも多様な海洋生態系を生み出している。しかし,それがずっと守られるという保証はない。昨年公表された2つの報告書によると,自然のままの「素晴らしい状態」を保っているサンゴ礁はフィリピンで4.3%,インドネシアで6.7%にとどまった。さらに問題なのは,熱帯魚を生け捕りにしている漁師がこうした手つかずの海域にまで触手を伸ばそうとしていることだ。

 

 これまで20年近くの間,おもに熱帯魚の輸出国が中心になり,観賞魚取引に潜む悪しき慣習を改めようとする努力が続けられてきた。しかし,それが成功したとは言い難い。一方で最近,流通経路の川下にいる輸入業者や小売業者,消費者の手によって,サンゴ礁保全を目指した新たな取り組みが動き出し,注目を浴び始めた。

原題名

Fishy Business(SCIENTIFIC AMERICAN July 2001)