日経サイエンス  2000年10月号

細胞内の巧みなシグナル伝達

J.D. スコット(ハワード・ヒューズ医学研究所) T. ポーソン(マウントサイナイ病院)

 一列に並んだ人たちがメッセージを隣の人に伝えていく伝言ゲームでは,思いもかけない間違った言葉を相手に伝えてしまうことがよくある。だが,私たちの体の細胞の中にある分子は,絶えず正確な情報を中継できる。

 

 正確な信号のやり取りができなければ,生命を維持できない。細胞同士がいつでも連絡を取り合っているからこそ,身体全体が適切に機能できる。例えば,膵(すい)臓の細胞はインスリンを放出して,筋肉の細胞に血中の糖分をエネルギー源として取り込むように命じる。また神経系の細胞は末梢から脳へ,あるいは脳から末梢へ,迅速な指令を出す。これらの情報は,離れた受け手の細胞の中に正確に到達し,特定の分子にその命令を伝え,適切な反応を引き起こす。では,細胞の中では,どのような回路が信頼性の高い送信を行っているのだろうか。この回路については,長い間,ごく初歩的なことしかわからなかった。だが,この15年の間に,細胞内部で用いられるシグナルの解読やシグナル発生の仕組みが飛躍的に進んだ。

 

 細胞内にはシグナルを正確かつ速やかに伝えるためのさまざまなタンパク質のパーツが用意されている。これらのタンパク質は自らを変化させることなく,まるでおもちゃの組み立てブロックのように連結し,目的の場所に情報を伝える。

 

 こうした研究成果を受けて,細胞内の情報伝達の間違いによって生じるガン,糖尿病や自己免疫疾患などの病気と真正面から戦うための,新しい戦略が続々と生み出されつつある。(本文より)

著者

John D. Scott / Tony Pawson

2人は,ホルモンや他のシグナルが細胞内で適切に中継される分子構造を理解するために,協力して研究を進めている。スコットはハワード・ヒューズ医学研究所の研究員とオレゴン健康科学大学のボラム研究所の上級研究員。ポーソンはトロントのマウントサイナイ病院のサミュエルリューネンフェルド研究所の分子生物学・ガン部門長,トロント大学分子遺伝学講座教授,カナダ医学研究会議特別教授。

原題名

Cell Communication:The Inside Story(SCIENTIFIC AMERICAN June 2000)