日経サイエンス  2000年8月号

混雑の心理学 密集は暴力を駆り立てるか

F.B. M. ドゥ・ヴァール(ヤーキース霊長類研究センター/エモリー大学) F. アウレリ(ジョン・ムアーズ大学) P. G. ジャッジ(ブルームズバーグ大学)

 人口密度が増せば必ず暴力が起きる──。この考え方は現在でも広く信じられている。その根拠は,1960年代のネズミ(ラット)を使った実験結果に基づくものだった。狭い空間にネズミの群れを入れたところ,ネズミは中央に置かれた餌箱に群がり,殺し合いをし,最後には共食いを始めたというのだ。このショッキングな報告は,たちまち学者の注目を集め,ネズミの行動は人間にも当てはまるという類推が通説となっていった。

 

 しかし,その後のさまざまな研究から,人間やチンパンジー,アカゲザルなどの場合,過密は暴力に結びつかないことがわかってきた。霊長類では,混雑状態になると,他者との接触をひかえたり,大きな声を立てて周囲を刺激しないように行動を抑える傾向が見られる。例えば,オランダ・アンヘルム動物園にある世界最大のチンパンジー園では,過密になるほど,毛づくろいやキス,お辞儀などの友好を示すしぐさが増えたという。

 

 現代の社会生活,とくに都市では,混雑は日常的な体験だ。エレベーターの中,映画館,あるいは観光地など,人はかなりうまく混雑に適応していると言える。著者らは,人間をはじめ霊長類のこのような能力は生得的なものと考えている。しかし,将来,過密と資源の枯渇が結びついた場合,どうなるのかはまた別の問題だと締めくくっている。(編集部)

 

 

再録:別冊日経サイエンス223「孤独と共感 脳科学で知る心の世界」

著者

 Frans B. M. de Waal / FilippoAureli / Peter G. Judge

ドゥ・ヴァール,アウレリ,ジャッジは,ヒトを除く霊長類の社会的関係と行動戦略の研究に共通の関心をもっている。このテーマに関する3人の研究成果は,Universityof California Pressから出版予定のNatural Conflict Resolutionに掲載される。ドゥ・ヴァールは,現在,アトランタのヤーキース霊長類研究センター・リビングリンクセンターの所長とエモリー大学の心理学教授を兼任しているが,渡米前は長年にわたり,オランダのアルンヘム動物園に勤務していた。著書に,ChimpanzeePolitics(『政治をするサル』西田利貞訳,平凡社)とGood Natured(『利己的なサル,他人を思いやるサル』西田利貞・藤井留美訳,草思社)がある。アウレリは,英国リバプール・ジョン・ムアーズ大学で生物学と地球科学の上席講師を務めている。ジャッジは,ペンシルベニアのブルームズバーグ大学の助教授とヤーキース霊長類研究センターの準研究員を兼務している。

原題名

Coping with Crowding(SCIENTIFIC AMERICAN May 2000)