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BEYOND DISCOVERY
日経サイエンス
エイズウイルスを無力に
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1. イントロダクション
2. 酵素の働きを探って
3. 阻害剤を設計する
4. エイズへの挑戦
5. ウイルスの繁殖を抑える
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. 新たな展望
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BEYOND DISCOVERY
THE PATH FROM RESEARCH TO HUMAN BENEFIT
■酵素の働きを探って
 プロテアーゼ阻害剤はエイズウイルスの抑制に使われているほか,他の感染症やガンの治療を目指して開発が進んでいるものもあるが,これらはすべてドイツの科学者キューネ(Wilhelm Kuhne)が120年以上も前になしとげた1つの発見がもとになっている。1876年,キューネは膵臓が分泌する膵液の中に,他の生体物質を分解する物質が含まれていることを突き止め,これをトリプシンと名づけた。彼はトリプシンが不活性な前駆体から生じることも発見した。トリプシノーゲンという前駆体がトリプシンに変化し,活性を持つようになる。
 
 キューネが研究していた時代は,さまざまな生化学物質が解き明かされるよりもずっと前だ。現在では,デオキシリボ核酸(DNA)とリボ核酸(RNA)が遺伝情報を蓄えていることがわかっている。DNAとRNAはアミノ酸と呼ぶ化学物質がどんな順序で結びついてタンパク質になるかを決めており,こうしてできたタンパク質が,細胞が機能するうえで重要な役割を演じる。例えばいくつかのタンパク質は互いに結びついて,細胞の骨格となる構造を作り出す。核酸に書き込まれた遺伝情報を細胞が読み取って複写するのを助けるタンパク質もある。また,酵素と総称されるタンパク質は細胞内の生化学反応を進める触媒として働く。ある酵素はタンパク質の合成を助け,ある酵素はタンパク質を分解する。
 
 キューネが発見したトリプシンは,実はタンパク質を分解する酵素の第一号だった。今日では,この種の酵素はプロテアーゼ(タンパク質分解酵素)と呼ばれ,アミノ酸の結合を壊してタンパク質をばらばらにする働きがあることがわかっている。実際,プロテアーゼは人間の細胞のなかに豊富に存在する。細胞がさまざまな機能を発揮するには,いろいろなプロテアーゼが必要だからだ。
 
 キューネの発見はエイズウイルスとの戦いに使うプロテアーゼ阻害剤を開発するうえでの最初の重要な一歩だったが,実際にその開発が始まるまでには,なお半世紀以上がかかった。1930年代に,ニューヨークにあるロックフェラー大学のノースロップ(John H. Northrop)とクニッツ(Moses Kunitz)は,トリプシンとトリプシンに関連する別の消化酵素であるキモトリプシンを分離し,これらがタンパク質であることを確認した。さらに20年ほど後の1952年,英国ケンブリッジ大学のサンガー(Frederick Sanger)はタンパク質のアミノ酸配列を決める手法を開発した。1960年代にはトリプシンとキモトリプシンのアミノ酸配列が解明された。これらの酵素は協力し合いながら食物中のタンパク質を分解し,消化で重要な働きを果たしている。密接に関連し,しかし機能的には異なる2つの酵素のアミノ酸配列を比較することによって,これらプロテアーゼのどの部分が重要なのかがおぼろげにわかってきた。
 
 このように酵素の構成要素の働きを解明する努力が続く一方で,他の研究者は別の手法を使って酵素を調べていた。1910年代に開発されたX線結晶解析と呼ばれる手法だ。X線結晶解析を利用すると分子の立体構造を示す画像が得られ,分子中の原子の位置がわかる。タンパク質を結晶化すれば,X線結晶解析で調べられる(現在でもすべてのタンパク質を結晶化できるわけではないが)。1950年代に英国の医学研究協議会分子生物学研究所のケンドルー(John Kendrew)とペルーツ(Max Perutz)は,タンパク質の構造解析にこの手法を初めて応用した。1960年代後半までに,トリプシンやキモトリプシン,別の消化酵素であるエラスターゼの立体構造が解明された。これら密接に関連するプロテアーゼの構造を比較した結果,これらの酵素がどのように機能するのかについて豊富な情報が得られた。こうして1960年代後半になると酵素の化学組成と分子構造がかなりわかってきた。同じころ,米国メリーランド州ベセスダにある米国立衛生研究所(NIH)のアンフィンゼン(Christian Anfinsen)らは,酵素のアミノ酸配列と酵素分子の形の関係を調べることによって,これら2つの手法を統合しようと考えた。タンパク質の構成要素となるアミノ酸は全部で20種類あるが,タンパク質分子には特定の折りたたみ構造が見られ,これらがアミノ酸配列に応じて一意的に決まっていることをアンフィンゼンは示した。例えば水をはじく疎水性のアミノ酸はタンパク質分子の内側にあることが多く,水分に富む細胞内環境と相互作用しないようになっている。逆に,水に溶けやすい親水性アミノ酸はタンパク質分子の外側(表面近く)に多い。トリプシンとキモトリプシン,エラスターゼの立体構造はこのモデルにうまく合致した。アンフィンゼンはタンパク質のアミノ酸配列が,そのタンパク質をコードする遺伝子によって決められていることも証明した。
 
image 酵素がどのように働くのか,折りたたみ構造がどんな重要な意味を持っているのかなど,全容を明らかにする研究がこのようにして始まり,探究はいまも続いている。あらゆる酵素は,その働きが合成であれ結合切断であれ,「基質」と呼ばれる特定の物質の分子に働く。タンパク質や核酸など,体内にあるさまざまな物質のうち1つが,ある酵素にとっての基質となる。反応は酵素の活性部位と呼ばれる領域で起きる。この領域は窪みのようになっていて,基質の形に対応している。正確なたとえではないが,基質を手に,酵素の活性部位を手袋になぞらえるとわかりやすい。手袋にはいろいろな大きさの手が入るが,一度に入るのは1つの手だけだ。手袋に手が入ってしまえば,それが完全にぴったり一致していなくても,もう別の手は受け付けない。活性部位に阻害物質がくっつくと,酵素の反応が進むのを妨げることになる。
 
image 酵素の構造とアミノ酸配列を解き明かすことにより,活性部位がどうなっているかがわかり,酵素と基質との間で起きる実際の化学反応を再構成できる。これは特定の酵素に対する阻害物質をつくる有力な手法にもなりうる。実際,天然の基質よりも活性部位に結びつきやすい阻害物質を設計しようと科学者たちは試みている。そうした阻害剤は天然基質との競争に打ち勝って,酵素と結合するだろう。
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