現代の通信
1. 現代の通信─レーザーと光ファイバーの技術革新
2. インターネットで救命
3. 可視光を使うか?
4. 20世紀の物理学
5. 半導体レーザー
6. 光ファイバーの登場
. 実用システムの開発
8. 光通信の活躍
9. 活発に続く基礎研究
10. クレジット
光ファイバーの登場

 その手段の1つとして1960年代半ばに提案されたのが光ファイバーだ。ただし,当時はこれが解決手段になるかどうかは定かでなく,他の可能性も真剣に探られていたほどだった。光はガラス繊維の中を全反射という性質によって伝わっていく。1820年にフレネル(Augustine-Jean Fresnel)がガラス板の中に光が閉じ込められる条件を明らかにし,これをガラス繊維に拡張した条件式が1910年にホンドロス(D. Hondros)とデバイ(Peter Debye)によって導かれていた。しかし,ガラスが効率的な長距離伝送の媒体となることをきちんと示したのはベル研究所のミラー(Stewart Miller)で,1964年になってからのことだ。

 毛髪ほどの太さのガラス繊維が光の短距離伝送に使えることは知られていて,産業や医療分野では他の方法では近づけない場所に光を伝えるのに実用化していたが,たった9mほどのファイバーを伝わるだけで光が99%も損失してしまっていた。

 1966年,英国のスタンダード電気通信研究所のカオ(Charles Kao)とホッカム(George Hockham)は,はるかに透明度の高いファイバーができると主張した。彼らの論文は画期的なもので,既存のファイバーの損失が大きいのはガラス中のわずかな不純物,特に水分と金属のせいで,ガラス自体の本来の性質ではないことを理論的に示した。彼らはファイバーの光の損失が1km当たり1000デシベルから20デシベルに劇的に下がりうると予測した。この改良が実現すれば,光信号増幅器の設置間隔を数mから数kmに広げられる。これなら,普通の電話回線で弱まった信号を増幅する中継器の設置間隔と比べ,さほど遜色がない。

 10年前のタウンズとシャーローの成果がレーザーの開発に火をつけたように,カオとホッカムの論文は低損失ファイバーの開発を刺激した。ブレークスルーが起きたのは1970年で,コーニング社のケック(Donald Keck)とシュルツ(Peter Schultz),マウラー(Robert Maurer)がカオとホッカムの提案した透明度を持つ数百mの光ファイバーを作り上げた。その後間もなく,ベル研究所のパニッシュと林が室温で連続作動する半導体レーザーの試作に成功し,同じベル研のマクチェスニー(John MacChesney)らも光ファイバーの製法を独自に開発した。

 こうした活動が転機をもたらした。光ファイバー通信は物理学の研究の世界から工学の主流に踊り出ることになった。研究が進むにつれ,次の10年で光ファイバーの透明度は著しく上がった。1980年には最高性能の光ファイバーは250km近く信号を伝送できるようになった。もし海がこれと同じ透明度なら,太平洋の深いところもプールの底と同様に見通すことができる。

 しかし,こうした透明度の光ファイバーはそれまでの方法では作れなかった。ブレークスルーをもたらしたのは,光を吸収する金属不純物のない純粋なシリカガラスをガスから直接作る手法だ。これにより,坩堝を使う従来法では避けられなかった不純物汚染がなくなった。ガス組成のバランスと反応の最適化が開発のポイントだった。19世紀にギブス(Willard Gibbs)が初めて唱えて以来,化学者たちが3世代にわたって洗練してきた化学熱力学の知識をもとに,開発が進められた。

   
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原文はNASのBeyond Discoveryでご覧になれます。
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