日経サイエンス  2012年11月号

現代物理学の歩み 

泡箱(1955年掲載)

D. A. グレーザー(1960年ノーベル物理学賞)

 SCIENTIFIC AMERICANはその167年の歴史のなかで,著名な科学者が執筆した記事を数多く掲載してきた。150人近いノーベル賞受賞者が合わせて200本を超える記事を寄稿している。SCIENTIFIC AMERICAN は2002年6月号で,ノーベル物理学賞受賞者が過去に寄稿した記事から12編を選び,その抜粋を掲載した。

 ここでは物理学賞受賞者が執筆した記事をさらに3本選び,抜粋を掲げる。いずれも各著者のノーベル賞受賞に結びついた研究に関するものだ。

 ブラッグ(William H. Bragg)による1930年の記事は,X線がどのようにして結晶構造をのぞき見る窓になるのかを述べている。彼はこの分野を発展させた業績により,1915年にノーベル物理学賞を息子と共同で受賞していた。同様にグレーザー(Donald A. Glaser)は1955年の記事で詳細に解説した「泡箱」の発明により,1960年の物理学賞を受賞した。そして最も新しいところでは,昨2011年の物理学賞は暗黒エネルギーのおかげで宇宙膨張が加速していることを発見した研究で主導的役割を果たした3人の研究者に贈られた。その1人であるリース(Adam G. Riess)は,宇宙膨張がいつ加速し始めたかを探る彼らの研究について,2004年のSCIENTIFIC AMERICANに記事を共著していた。(F. ジャブル/J. マトソン=SCIENTIFIC AMERICAN編集部)

 

 

泡箱(1955年掲載)

 

 原子よりも微細な原子核の世界を探索する物理学者は,暗い洞窟を懐中電灯で手探りしているようなものだ。その懐中電灯はほんの一瞬点灯するだけで,そのたびに照らされるのは洞窟の小さな片隅にすぎない。時折は何かの活動や出来事がとらえられる。よく知られた粒子がおなじみの振る舞いをしていることもあるし,奇妙な新粒子がまるで不可解な振る舞いをしている場合もある。そうしたわずかな観察から,原子核物理学者は原子核の暗く非情な世界で各種の粒子とそれに働く力を特定しようと試みている。もっとよい懐中電灯があれば助かるはずだ。

 

 彼らが観察しようとしている出来事と,現在利用できる観測装置についてちょっと考えてみよう。物理学者は原子核に粒子をぶつけることによって原子核を調べている。原子核をその構成要素にバラバラにするエネルギーを持った粒子をぶつけるのが望ましい。

 

 そうした事象を観察して計測する方法は2つある。1つはウィルソンの霧箱だ。水蒸気で過飽和になった箱のなかに,飛来した荷電粒子が液滴でできた航跡を残し,これが目に見える。粒子が通り道の水蒸気や気体の原子にぶつかってそれらをイオン化し,そのイオンを核に水蒸気が凝縮して液滴になる。時には粒子がより軽い粒子へと壊れ(崩壊し),枝分かれした航跡ができることもある。しかし,そうした興味深い出来事が霧箱のなかで起こるのはごくまれだ。ガス中での衝突が頻繁には起こらないためだ。

 

 2つめの方法は写真乳剤を使う。高密度の乳剤に粒子が飛び込んでくると,高い確率で原子核と衝突する。このため,散乱や崩壊,新粒子の生成といった興味深い現象をとらえられる公算が大きい。しかし乳剤には欠点もある。密度が大きいので衝突が非常に頻繁に起こり,粒子の進路がひどく曲がったものになって,磁場の効果を計測することはできない。また,乳剤は製造された瞬間から宇宙線や地上の放射能の影響を受けて,ランダムな粒子の航跡を記録し始める。

 

 霧箱と乳剤の欠点を解消し,それぞれの長所を組み合わせたような折衷策はないだろうか? 1952年5月,私はこの問題に対する新たなアプローチの検討を始め,液体を使う可能性を探ることにした。

 

 飛んできた粒子の軌跡を示し,粒子が飛び去ったら速やかに航跡が消えるようにするには,液体中のどんな可逆過程を使えばよいだろうか? 霧箱で粒子が生じたイオン化が過飽和水蒸気中での液滴の凝縮によって目に見えるようになるように,粒子自体の小さな効果を増幅してみせるプロセスである必要もある。私は過熱液体なら,過飽和水蒸気と同様に望ましい不安定な平衡状態を作り出して,わずかな刺激を引き金に大きな効果が生じるのではないかと思いついた。清浄で滑らかな容器のなかで非常に純粋な液体を加熱すると,通常の沸点を超えても沸騰せずに温度を上げられることが以前から知られていた。こうした過熱液体に粒子が飛び込んできた場合,適切な条件下では,沸騰過程の始まりとなる小さな気泡が生じるのではないかと私は考えた。もしそうなら,過熱液体中に目に見える航跡ができるのではないか。

 

 私はガラス球(内径1/2インチ)にエーテル化合物を満たしたものを使った。これをピストンを備えたシリンダーに細いチューブでつないだ。シリンダーには手動のクランクがついていて,圧力をすぐに下げられるようになっている。毎秒3000コマを撮影する高速度カメラを使い,圧力を下げたときにガラス球の内部で何が起こるかを動画に撮った。案の定,過熱エーテルを粒子が貫いた際に小さな気泡が航跡として残った。この泡箱は非常に高感度の記録装置になることが間もなくわかった。イオン化作用の小さな高速ミュー中間子でも,過熱液体には目に見える航跡を作り出した。

 

 泡箱のアイデアがうまくいくことが確かめられたので,私たちは実験室で使える大きな泡箱を作る仕事に歩を進めた。最初に作ったのはジュラルミンとガラスでできた大きさ2インチの箱で,圧縮空気で動かす隔膜によって5/1000秒で泡箱の容積を最大に広げられる。液体は7/1000秒の間,感度を保った。その後,同じ設計に基づいてペンタンを満たした,より大きなものを作った。液体を収めた部分のサイズは長さ6インチ,幅2インチ,高さ3インチ。この泡箱は現在,米国立ブルックヘブン研究所のコスモトロンで使われている。この加速器でこれまでに陽子の軌跡をとらえた400枚の素晴らしい写真を撮影した。これらの写真は最高の霧箱と同様に読み取りやすく,正確さは約10倍だ。(編集部 訳)

 

以上の抜粋の英文はScientificAmerican.com/jul2012/lindauに。

著者

Donald A. Glaser

1960年ノーベル物理学賞。

原題名

The Bubble Chamber(SCIENTIFIC AMERICAN February 1955)

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