きょうの日経サイエンス

2012年7月4日

ヒッグスらしき新粒子を LHC の実験で発見

 万物に質量を与える素粒子,ヒッグス粒子とみられる新粒子が発見されました。スイス・ジュネーブ郊外の欧州合同原子核研究機構(CERN)にある大型ハドロン衝突型加速器LHCを用いて陽子衝突実験に取り組む2つの国際共同研究グループ,ATLASとCMSが7月4日に発表しました。ヒッグス粒子は,現在の素粒子物理学の基本的な枠組みである「標準モデル」を構成する粒子のうち,その存在が予測されながら発見されていなかった唯一の粒子。今回の新粒子発見によって,素粒子物理学の基盤がさらに強固になると同時に,暗黒物質や宇宙における物質と反物質の不均衡など未解決問題の解明と,標準モデルを包含するより根本的な究極の理論の研究などに弾みがつくと期待されています。

 

 

  日本もATLASグループの中心メンバー国の1つで,CERNでの発表の模様は東京大学にも同時中継されるとともに,日本グループの共同代表の1人である小林富雄・東京大学素粒子物理国際研究センター教授らが実験の成果を詳しく紹介しました。上の写真は東京・本郷にある東京大学理学部1号館の小柴ホール(ノーベル賞を受賞した小柴昌俊博士にちなむ)での会見の模様です。

 ATLAS実験の結果をまとめると次のようになります。「ヒッグスとみられる新粒子が,エネルギー換算の質量で約126.5GeV(1Gevは10億電子ボルト,陽子や中性子は約1GeV)周辺に存在する確率は99.99998%」。

 一方,CMS実験は「約125.3±0.6GeVに存在する確率が99.99995%」。

 両者の結果は新粒子の質量の値,確率ともほぼ完全に一致しています。素粒子物理学の世界では新粒子が存在する「兆候」をとらえたと発表するには確率99.9%以上,「発見」というには99.9999%以上であることが必要です。そのルールに照らせば,今回の結果は「発見」のレベルに達しています。

 ちなみに昨年12月の段階で両チームが発表した確率はATLASが「98.9%」,CMSが「97.1%」で「新粒子の兆候をとらえた」というレベルにも及ばないものでした(ただし確率の計算方法が今回とは少し違って,やや厳しめに見積もられています)。ただ,それぞれ独立して実験に取り組む2つのグループが,ほぼ同じエネルギー領域でヒッグスの存在をうかがわせるデータを得たと言うことは,発表された確率以上の重みを持ちます。つまりヒッグス探索に王手がかかっていたわけで,今回の最新の実験結果の発表には世界中の物理学者が注目していました。CERNの発表会場にはヒッグス粒子の存在を理論的に提唱したピーター・ヒッグス英エディンバラ大学名誉教授らが招かれ,発見の喜びを分かち合いました。

 LHCの実験では, 地下約100mに建設した一周約30kmの巨大なリング状の加速器を使って,互いに逆方向に走る陽子をほぼ光速まで加速,正面衝突させます。これによって宇宙誕生直後と同じ超高エネルギー状態を実現,ヒッグス粒子を生み出すわけです。ヒッグス粒子はすぐに,複数個のより軽い素粒子へと崩壊するので,ATLASとCMSはこれらの崩壊してできた素粒子の種類とエネルギー,飛散する方向などを精密に測定し,崩壊する前の粒子が既知の粒子か,それともヒッグス粒子なのかを調べます。右上はATLAS検出器の写真です(ATLAS実験グループ提供)。左上はCMSの写真です(日経サイエンス撮影)。

 ヒッグス粒子は標準モデルの中で,唯一,その存在が理論的に予測されながらも検出されていない素粒子ですが,その質量がどれほどなのか,理論的にはわからないので,幅広い質量領域をしらみつぶしで調べるしかありません。そのため,これまで何十年にもわたって米欧の巨大加速器を使って調べられていました。それがLHCによって決着をみることになりました。

 

ヒッグスの海の中を走る素粒子

 ヒッグス粒子とはどんなものでしょう? 宇宙誕生直後,クォークや電子など物質のもとになるすべての素粒子は質量ゼロであって,光と同様,光速で飛び回っていたと考えられます。そして宇宙が冷えると(その段階でも温度は1000兆℃です),真空の状態が変化し,宇宙全体がいわばヒッグス粒子で満たされた海のような状態(ヒッグス場)になったとみられています。すると,それぞれの素粒子はヒッグスの海の中を抵抗を受けながら進むようになるので,速度は光速より落ちることになります(速度の落ち方は,それぞれの素粒子とヒッグス粒子の間の結びつきの強さによって異なります)。速度が落ちたことが,質量を持つようになったことを意味します。

 また原子核の内部で働く「弱い力」(ベータ崩壊などを起こす力)を媒介する3種類の粒子(W粒子やZ粒子と言います)は,電磁力を媒介する光子などと違って質量を持っています。これら3粒子の質量は,真空がヒッグス粒子で満たされる際に与えられたと考えられています。つまり標準モデルでは,ヒッグス粒子の存在なしでは物質を構成する粒子も,力を担う粒子も質量がゼロになってしまうわけで,それだけにヒッグス粒子の探索が熱心に続けられてきたわけです。

 ヒッグス粒子の崩壊にはいくつものパターン(どんな種類の素粒子に崩壊するか)があり,それぞれどのくらいの頻度で崩壊が起こるか理論的にわかっています。多数のデータをとることで,パターン別の崩壊頻度がわかってくるので,それから本物か偽物かが判定できます。

LHCの実験では5つの崩壊パターンの検出に力が注がれてきました。いずれもヒッグス粒子が2つの別種の素粒子に崩壊するパターンで,次のようなものです。「光子(ガンマ線)2つに崩壊」「Z粒子2つに崩壊」「W粒子2つに崩壊」「bクォークと反bクォーク(bクォークの反粒子)に崩壊」「タウ粒子(電子と同じ負電荷を持つが,電子よりはるかに重い素粒子)とタウ粒子の反粒子に崩壊」。最初の3つはヒッグス粒子が力を媒介する粒子(ボース粒子と総称されます)に崩壊するパターンで,今回の発表では,これらのデータが,予想されるヒッグスの崩壊頻度とマッチしたことが報告されました。

 

 上に示すCG画像はATLASの実験データで,ヒッグス粒子が崩壊してできた2つのZ粒子がそれぞれさらに2つのミュー粒子(電子と同じ負電荷を持ち,電子より重いがタウ粒子より軽い粒子)に崩壊した様子を再現したものです(ATLAS実験グループ提供)。LHCで加速された陽子は,上の図中左側の画像の画面奥側と手前側から飛んできて正面衝突し,ヒッグス粒子→2つのZ粒子→4つのミュー粒子に変わるわけです。外側に放射されている4本の赤い線がミュー粒子の飛跡です。上の図中右側の小さな図は円筒状のATLASを陽子の飛んで来る方向から見たときの断面図で,4本の赤線がミュー粒子の飛跡です。

 

 また右に示すグラフもATLASの実験データで光子2個への崩壊データの解析結果を表しています(ATLAS実験グループ提供)。横軸は質量(エネルギーで表示),縦軸はデータ数です。赤線で示す右肩下がりの曲線はバックグラウンドで,126GeVあたりのところだけ,バックグランドから盛り上がっています。これがヒッグス粒子によるものと解釈できます。

 ただ残る2つの崩壊パターン,つまりヒッグス粒子が物質を構成する素粒子(フェルミ粒子と総称されます)への崩壊については,まだデータが不十分です。そのため,今後,さらに実験が進めば,これらの崩壊頻度が標準モデルの予想と違ってくる可能性も考えられます。そういうわけで今回の発表では「ヒッグス粒子とみられる新粒子が発見された」という表現になったわけです。もし標準モデルの予想とは異なる結果が出たら,それは標準モデルを超える理論として注目されている「超対称性理論」にかかわる性質を帯びた粒子である可能性もあります。今年末までの実験で,そのどちらなのかが判明すると考えられています。

編集部・中島林彦

 

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【お知らせ】この記事関する続報は,今月(7/25)発売の日経サイエンス2012年9月号で特集します。

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