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顔認識専門の脳領域〜日経サイエンス2009年2月号より

脳の特定部分が顔の認識を専門とするネットワークをなしている

 

 人ごみのなかから友人の顔を見分けるのはたやすい。だが,このたやすさゆえに,顔の認識がいかに複雑な芸当であるかに私たちは気づかない。どの顔にも目と鼻,口が同じような場所についていて,一連の感情表現を示している。なのにどうして顔を簡単に見分けて認識できるのか,何十年も議論されてきた。人間の脳には,顔の情報だけを専門に処理する特別な機構が発達したのだろうか。それとも,すべての対象は包括的な多目的ネットワークで処理されているのだが,顔認識については特に熟達のワザが発達したのか……。
 最近,2つの実験によってこの長年の論争に決着がついた。顔専門に働く特別な神経網の存在が明らかになったのだ。

 

「顔パッチ」どうしが密接に連携

 1990年代後半に行われた脳の画像研究で,物体の認識に重要な側頭葉の数カ所が,顔を見たときに特に強く活動することがわかった。しかし,これらの領域が顔だけに反応する細胞を含んでいるのか,より広範なものに反応しているのかは不明だった。人間に関するさまざまな対象に反応している可能性もあるし,細部の判別に注意を要するものに対して活性化する細胞があるのかもしれない。
 数年前,ハーバード大学医学部にいたツァオ(Doris Tsao)らがこの問題に取り組んだ。ツァオは顔だけに反応するニューロンが詰まった「顔パッチ」がサルの脳に存在することを発見,その位置も特定した。「これらが高度に専門化した領域であることを実証した」と現在はドイツのブレーメン大学に移ったツァオはいう。「でも,それらがどう働いているのか,各パッチが独立なのか,1つの回路に統合されているのかは,なお不明だった」。
 そこでツァオは大学院生のメラー(Sebastian Moeller)とともに,ある顔パッチの複数のニューロンを電極で刺激し,他の脳領域を機能的磁気共鳴画像装置(fMRI)で観察した。この結果,顔パッチどうしの密接な結びつきを発見,2008年初めに報告した。ある顔パッチを刺激すると他の顔パッチも活性化する(顔パッチ以外はほとんど活性化しない)のに対し,顔パッチ以外の領域を刺激した場合に活性化するのは顔とは無関係な領域だ。
 「これには本当に驚いた」と,ハーバード大学医学部の神経生物学者でかつてツァオの研究を指導したリビングストン(Margaret Livingstone)はいう。「顔パッチ間のつながりは信じられないほど緻密だ。顔以外の物体認識とは完全に分離し,独自の解剖学的構造を備えた特別なシステムだと考えられる」。

 

前頭葉のパッチは感情表現を解釈

 ツァオは次に前頭葉に注目した。感覚情報をもとに,目的を持った行動を計画する脳領域だ。「人間は顔を認識しておしまいではなく,顔に反応して行動する」とツァオはいう。「顔の感情表現を見極め,それを記憶にとどめ,敵か味方かを区別する」。だから,前頭葉にも顔パッチがあるだろうと考えた。
 fMRIによって3カ所の顔パッチが見つかった。1つは「眼窩前頭皮質」にあった。感情や社会的行動を評価する領域だ。さらに,この顔パッチは無表情な顔よりも感情的な顔に激しく興奮し,感情表現の解釈に特別な役割を果たしている可能性を示した(対照的に,側頭葉の顔パッチは感情的な顔に特別な反応はしなかった)。実際,前頭葉を損傷すると他人を認識はできても相手の気分を推定できなくなる場合がある。
 ツァオは現在,顔パッチは機能的に階層構造をなしていて,あるパッチが顔を検出した後,別のパッチが処理に加わって,それが男の顔であるとか驚いた顔であるとかを報告するのだろうと推測している。そして,後者の顔パッチは側頭葉内側部と連絡しているのだろうとみる。側頭葉内側部は2005年にカリフォルニア工科大学のコッホ(Christof Koch)が女優のハル・ベリーなど特定の個人だけに反応するニューロンを発見した領域だ。段階的な処理によって,特定個人といった複雑な実体をコードできるニューロンが生じる──ツァオの発見はそんなメカニズムの存在を思わせる。

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