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手を挙げろ〜日経サイエンス2009年6月号より

経済危機は犯罪増加に本当につながるのか?

 

 昨年暮れの強盗事件はさんざんな1年を象徴するような出来事だった。クリスマス明けの月曜日,わずか6時間のうちにニューヨークの5つの銀行に強盗が押し入った。同市では2008年に444件の銀行強盗が発生,前年比54%増だ。ある市民はニューヨーク・タイムズ紙に「不景気のせいでとんでもない手段に訴えるやつが出てくるんだな」と語った。経済が縮小すると,その穴を埋めるように犯罪が増えるという,一般的な見方を代表したコメントだ。そして私たちがいま直面している縮小といえば,「ハルマゲドンに向かって進んでいるような恐怖を多くの人が感じている」とニューヨーク市立大学ジョン・ジェイ・カレッジ犯罪防止センター長のケネディ(David Kennedy)はいう。
 しかしケネディら研究者は,失業や経済的絶望と窃盗・殺人の間に厳然たる関連性はないと考えている。犯罪発生率に影響する要因は,どの経済指標よりもずっと多様で複雑だ。
 大恐慌を例にとろう。1929年に株式市場が暴落してから数年間は,犯罪も激減した。「ずっと家のなかにいる人は犯罪の標的にならない。標的になるのは外で現金を使い,人込みのなかをうろついている人だ」とオハイオ州立大学の経済学者ワインバーグ(Bruce Weinberg)はいう。特に「狂騒の1920年代」はそうだった。この時期は禁酒法やそれに絡む犯罪組織の問題もあった。
 20世紀,米国の都市はこのほかに2つの犯罪多発期を経験した。1960年代終わりから70年代初めにかけてと,全米の殺人率が最高記録を作った1980年代末から90年代初めにかけてだ。前者は好況時に,後者は不況時に重なる。しかしどちらも,根底にあった主な原因は麻薬取引の急増だ(1970年代はヘロイン,90年代はコカイン)。

 

不況と犯罪

 こうした“外からの衝撃”が犯罪率を大きく左右しているが,最近の研究は全般的な経済情勢と犯罪との間にいくぶんかの関連性を導き出した。ワインバーグとヘブライ大学のグールド(Eric D. Gould),ジョージア大学のマスタード(David Mustard)が学歴高卒以下の若い男性(犯罪者の最多を占める属性集団)を対象に調べたところ,平均賃金と失業率が窃盗の発生率と直接の関連を持つことがわかった(ここでいう窃盗は住居侵入による盗み,自動車泥棒,強盗などを指す。強盗は暴力による脅しを伴うため,通常は窃盗ではなく暴力犯罪に分類される)。厳しい時代には家庭内暴力も増える。
 殺人率は失業率など標準的な経済指標と明確に関連づけられたことはいまだかつてないが,ミズーリ大学セントルイス校の犯罪学者ローゼンフェルド(Rick Rosenfeld)は,これはそれらの統計がすべてを物語ってはいないためだと考えている。「犯罪行動は人間がする行動だ。だから,それを理解するには客観的な指標とともに主観的な指標も利用するほうがよい」という。
 彼はアリゾナ州立大学のフォルナンゴ(Robert Fornango)とともに,殺人率と消費者信頼感指数(CSI)の関係を調べた。消費者信頼感指数は,人々が自分の現在の経済状況をどうみているか,将来にどれほど期待しているかを調べた指標だ。その結果,消費者信頼感指数の低下と殺人率の上昇に強い相関があることがわかった。
 ローゼンフェルドは「新たに失業した人が犯罪者になるというのではないが,ディスカウント店で買い物をするカツカツの限界消費者の多くは,経済が悪化すると露店市場に向かうようになる」という。「それらはふつう中古品の市場だが,ときには盗品も出回る。需要が増えれば,盗みを働く動機も強まる」。また,そうした闇市場では,通常なら米商事改善協会(BBB)が扱う小売業者と卸業者の間のいざこざが,暴力によって解決されるだろう。ちなみに昨年11月の消費者信頼感指数は28年ぶりの低水準に落ち込んだ。

 

もう1つの力

 これは殺人率急増の予兆なのだろうか。必ずしもそうではない,と犯罪学者たちはいう。近代的な犯罪抑止戦術という,もう1つの外的な力が働いているからだ。米国では現在,多くの警察が犯罪率の高い地域の地図を常に最新状態に保ち,巡回警備の効率を上げている。この手法を1990年代初めにニューヨークで初めて導入したブラットン(William Bratton,現在はロサンゼルス市警本部長)が好んでいうように,「警官をきっちり差し向ける」のだ。
 さらに,警察は既知の犯罪組織と直接連絡を取り,組織の構成員が暴力を振るった場合は組織全体を厳しく取り締まると警告を発するようになった。この手法はさらに組織内の自主的警備につながり,1990年代の「ボストンの奇跡」に至った。以来,この手法は全米の数百の地方自治体に広まっている。
 また,直接的な景気刺激策が“痛み止め”となることが最近の研究で示された。1930年代,公共事業への支出を増やした地域は他の地域よりも犯罪率が低かった。景気刺激策を検討中の現在の米国政府にとっては幸先のよい話だ。「公共投資の増額を完全に防げるだろうか」とケネディは問う。「ノー・ウィー・キャントだ。しかし,伝染病の流行にマスクをつけて祈っていた時代は去り,いまや予防注射がある」。

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