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黙って増えろ〜日経サイエンス2009年7月号より

抗生物質の効かない耐性菌を打ち負かす新アイデアが登場
仲間と“会話”できない変異体を増えるに任せる

 

 米国では薬剤耐性黄色ブドウ球菌による死者数が年間約1万9000人にのぼり,HIV感染(エイズ)による死者を上回っている。抗生物質に耐性を持つ菌株が60年前に出現して以来,科学者たちは第2世代の薬を開発しようと苦闘してきた。細菌そのものを攻撃すると耐性が生じてしまうから,そうではなくて,細菌どうしのコミュニケーションを断つことでやっつける薬だ。 
 しかし細菌は予想以上に複雑で,これまでのところ大きな進展はない。だが社会進化生物学の研究から,細菌を出し抜く方法がついに見えてきたようだ。細菌の一部メンバーを使って,細菌群全体を弱体化させる戦略だ。 

 

クオラムセンシングの阻害 

 40年前,一部の細菌が周囲の仲間と小分子の形でメッセージをやり取りしていることが発見された。クオラムセンシング(菌体密度感知)と呼ばれ,細菌はこれによって自分たちの個体数密度を感知し,それに応じて振る舞いを調節している。周囲に十分な数の仲間がいる場合(「クオラム」に達している場合),細菌は病原性因子となるタンパク質を作り始め,宿主を病気にする。さらに「バイオフィルム」という集合体となって,抗生物質に対して1000倍も強くなる。
 現在ではクオラムセンシングが細菌界で一般的な現象であることがわかり,多くの研究者がそれを阻害する方法を探っている。カリフォルニア州ラホーヤにあるスクリプス研究所の化学生物学者ジャンダ(Kim Janda)は,この戦略を「ステルス法」と呼ぶ。抗生物質は細菌を殺すか成長を阻害するので,耐性を獲得した変異株はむしろ増殖しやすくなる。これに対しクオラムセンシング阻害剤は細菌の命までは奪わず,病気を起こしたりバイオフィルムを作ったりするのを防ぐ。
 問題は,よい阻害剤がなかなか見つからないこと。細菌が情報交換に使う分子は種に固有な場合が多く,どの細菌にも有効な万能阻害剤を開発するのは困難だ。さらに,実験動物で成功した複数の阻害剤が,人間には有毒であることがわかった。また,阻害剤が効果を発揮するのは感染の初期,細菌がクオラムに達する前に限られるだろうとみる研究者もいる。こうした問題点のせいで,クオラムセンシング阻害剤の開発に投資する製薬会社は少ない。「みんな少し慎重になっている」とウィスコンシン大学マディソン校の化学者ブラックウェル(Helen Blackwell)はいう。

 

“ズルい菌”を増やして全体をくじく

 しかし1月,英エディンバラ大学の進化生物学者ウェスト(Stuart West)らが新しいアイデアを発表した。クオラムセンシングに関して知られていた微妙な事実に基づく考案だ。個体群を構成する細菌すべてが正常に会話しているわけではない。なかには低レベルのシグナルを発信はするが受信はしない「シグナル・ブラインド変異体」や,シグナルを受信はするが発信はしない「シグナル陰性変異体」が存在する。
 このような変異体も,近辺の仲間が協力し合って達成したクオラムの恩恵にあずかるが,自分たちは仲間よりもエネルギーを大幅に節約できる。その結果,これらの“ズルい”変異体は素早く複製して栄え,世代を経るごとに変異体の割合が増えていく。しかしズル変異体が増えすぎると,コミュニケーションが減って個体群がクオラムに達することができなくなり,全体の毒性が低下する。
 ウェストらは最近,一群のマウスに通常の緑膿菌(院内感染によく見られる)を,そして他の2グループには通常の緑膿菌にシグナル・ブラインド変異体またはシグナル陰性変異体を半分混ぜたものをそれぞれ感染させた。7日後の生存率は,混合菌に感染したマウスのほうが,通常株に感染したマウスの2倍になった。「無茶に思えるだろうが,感染症にかかったら,ズル変異体を投与すれば治る可能性がある」とウェストはいう。

 

特殊戦略と正攻法

 ただし,そうした治療法がすぐには実現しそうにないことはウェストも認める。感染症を治療するのにさらに細菌を投与するというアイデアを,規制当局はもちろん,一般市民が受け入れるのは難しいだろう。それでも,ウェストらはこのアイデアについて特許を出願したほか,変異細菌を使って特定の遺伝子を細菌群に導入する“トロイの木馬”の可能性も追求している。「耐性菌に感染したら,抗生物質が効く変異体を投与して広がるに任せる」とウェストは説明する。間もなく既存の薬で治療できるようになるだろう。
 これらの特殊戦略がうまくいかなかったとしても,伝統的な考え方に基づくクオラムセンシング阻害剤がいずれ成功すると同分野の研究者は確信している。例えばジャンダは,クオラムセンシングの過程で生じる分子を免疫系が見つけて除去できるようにする“細菌ワクチン”を開発中だ。ジャンダやプリンストン大学の生物学者バスラー(Bonnie Bassler)らは「AI-2」という分子も研究している。多くの細菌がシグナル伝達分子として使っているとみられ,万能阻害剤につながる可能性があるという。
 さらにブラックウェルは,さまざまなシグナル伝達物質に非常によく似ているが完全に同じではない小分子を数百種類も発見した。こうした分子を細菌群に導入すればコミュニケーションを遮断できるだろう。「期待は大きい」とブラックウェルはいう。

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