News Scan

公共の場でもはっきり聞こえる補聴器システム〜日経サイエンス2010年3月号より

単純だが聴覚障害者を大いに助ける技術

 

 一般的な補聴器は音をマイクでとらえ,それを増幅してイヤホンに送る。比較的静かな室内などの環境ならうまく働くが,雑音にあふれた公共の場ではほとんど用をなさない。この問題を回避する簡単な技術がある。以前から欧州で実用化していたのだが,ようやく米国でも導入が始まった。試験プロジェクトが成功すれば,聴覚障害者が駅の案内放送をはじめとする各種の音声サービスをもっと聞き取りやすくなるだろう。
 この技術は「誘導ループシステム」と呼ばれる(「磁気誘導ループ」「ヒアリングループ」などともいう)。マイクや音響案内装置,電話の受話器などで発生した電磁波が,施設内にめぐらしたループ状のワイヤに誘導電流を引き起こす。このループから,適切な検知器を装備した補聴器に信号を送る。検知器は銅線の小さなコイル「テレコイル」で,やはり電磁誘導によって信号をとらえ,これが増幅されてイヤホンから音となって出力される(信号を人工内耳に送ることも可能。人工内耳は外科手術によって埋め込まれた装置で,聴覚神経を直接刺激する)。

 

補聴器が無線スピーカーに

 ホープカレッジの心理学教授で装置の熱烈な支持者であるマイヤーズ(David Myers)は,テレコイルはいわば補聴器向けのWi-Fi(ワイファイ,無線通信の方式)のようなもので,補聴器が最適な無線スピーカーになるという。米国の補聴器メーカー各社は電話の信号をとらえて増幅するためにテレコイルつきの製品を開発,このタイプが増えている。Journal of Hearing誌2008年4月号に掲載された調査報告によると,テレコイルつき補聴器の割合は2001年の37%から60%超にまで増えた。 
 それでもマイヤーズは,米国には3600万人もの聴覚障害者がいるのに,世界の他地域,とりわけ北欧に比べるとこの技術の利用が遅れているという。自身も聴覚障害を持つマイヤーズが初めてこの技術を知ったのは10年以上も前,スコットランドのアイオナ修道院で礼拝していたときだ。建物の音響が貧弱で,典礼の文言がはっきりと聞き取れない。しかし,妻に促されて補聴器をテレコイル動作の「T」モードに切り替えると,「急に明瞭に聞こえるようになって驚いた」という。「その後,ホールや大聖堂からロンドンやエディンバラのタクシーの後部座席まで,英国の至る所で同じ経験をした」。 
 それ以来,マイヤーズらはこの技術を米国に導入しようと運動してきた。米国では公共の場にヒアリングループを義務づける規定がないため採用が遅れているとマイヤーズはいう。米国障害者法(ADA)は2004年の改定以来,公共の場が聴覚補助システムを提供するよう定めてはいるが,ヒアリングループの設置ではなくFM電波や赤外線を使うシステムでもよく,その場合は利用者が専用機器を借りなければならない。

 

徐々に導入広がる

 あらゆる場所でどの聴覚障害者にも有効な単一の方法はない,というのが米国障害者法の立場だ。例えば赤外線システムはFM方式に比べ,日光の当たる場所では効果が低いが,一般に機密性は高い。米国障害者法のガイドラインは「機密性や混信,コスト,設置要件,操作性の違いから,あらゆる場所でただ1種類の聴覚補助システムを使うのは不可能だ」と述べている。 
 マイヤーズはそうは考えない。多くの聴覚障害者はイヤホン装置の借用を申し出るのを気恥ずかしく思うと指摘する。また,以前に他人が使ったイヤホンをつけるのを嫌う人もいる。これに対しヒアリングループなら,自分自身の装置を目立たずに使えるだろう。
 ヒアリングループの支持者にとって,状況はゆっくりとではあるが前進しつつある。支持団体ヒアリング・アクセス・プログラムの創設者で代表を務めるシャクター(Janice Schacter)は交通機関で成功を収めた。去る9月,ニューヨーク市のタクシー・リムジン委員会はタクシーの車内にヒアリングループを設置することを認可した。これに先立ち,シャクターの支援で13カ月間にわたって15台のタクシーを使ったテストが行われた結果だ。ニューヨーク地下鉄の案内所642カ所にも導入可能とみて,シャクターはニューヨーク市と連携してウォールストリート駅で最初の試行実験を始めた。

サイト内の関連記事を読む