きょうの日経サイエンス

2011年6月27日

日米のマクスウェルの悪魔

「マクスウェルの悪魔」をご存知ですか? 19世紀のスコットランドの物理学者、J. C. マクスウェルが考えた仮想の悪魔です。この悪魔,壁で2つに仕切った部屋にいて,部屋の中を飛び回る空気の分子を見ています。左から飛んできたら壁の窓をサッと開けて右に通し、右から飛んできたら窓を閉じて跳ね返します。分子はやがて、すべて右の部屋に集まります。ここで壁の固定を外すと、右の部屋で飛び回る分子に押されて、壁は左に動き出します。

でも、それってどこかおかしいのです。悪魔は自分で分子を動かしてはいません。分子が自ら右の部屋に集まるのを助けているだけです。つまり物理で習った「仕事」(力×距離)はしていない。分子にエネルギーを与えてはいません。なのに空気は壁を動かすのです。悪魔が分子を右と左にと交互に集めれば、そのたびに壁は左右に動き、際限なく仕事を取り出せる。これでは熱力学の第二法則が破れ、永久機関が実現してしまいます。

マクスウェルが考えた悪魔は想像上の生き物でしたが,最近,中央大学と東京大学のグループが実際に作りました!という話題を,今年の初めに弊誌でご紹介しました(日経サイエンス2011年3月号「マクスウェルの悪魔ができた」)。その直後、今度は親元のSCIENTIFIC AMERICANが、米テキサス大学がマクスウェルの悪魔を作り,それを使って気体を絶対零度の近くまで冷却することに成功した、という記事を掲載しました。

何という偶然。これは2つ並べて一挙に謎解きし、140年の謎に落とし前をつけるしかない!と、物理ヲタとしては燃えました(笑)。すぐに思いついたのが、米IBMのC. H. ベネット博士。1980年代に悪魔のパラドックスの解決策を提唱し、多くの支持を得ています。日経サイエンスの読者には、量子暗号と量子テレポーテーションの発明者、と言った方がピンと来るかもしれません。

実はベネット博士と、日本の悪魔の理論構築をした東大の沙川貴大さん(現在は京都大学助教)とでディスカッションをして頂けないかという話が以前から出ており,今年の3月に実現しました。最近はこういう議論もネットでできるので便利です。たまたまベネット博士を訪問していたケニヨン大学のB.シューマッカー教授と,沙川さんの研究室の上田正仁教授も加わって、なかなか盛り上がったようです。「面白かったよ」と上機嫌なベネット博士とシューマッカー教授にすかさず原稿を依頼したところ、快諾して下さいました。8月号の巻頭特集「マクスウェルの悪魔現る」がそれです。テキサス大の成果「悪魔が挑む絶対零度」も,もちろん掲載しています。

さて,日米の悪魔は物理法則を破ったのでしょうか?・・・いえいえ,まさか。マクスウェルの時代,そしてその後のずいぶん長い間,物理学者たちが見落としていたのは,実は悪魔が分子を見た時にに記憶した「情報」です。そんなの物理に関係あるの?と思う方もいるかもしれませんが、あるんです。膨大な数の分子についての情報は、悪魔の頭の中のメモリーに記録されており,それは明らかに物理的なものです。

分子が右の部屋に片付いて装置がすっきりした分、悪魔の頭の中には膨大な量の情報がぎっしり詰まっていて,その分だけ混乱しています(物理の用語で言えば,エントロピーが増している)。これを考えに入れると、ちゃんと第二法則の帳尻は合うのです。詳しくは,8月号をご覧下さい。(古田彩)