日経サイエンス  2019年12月号

大特集:真実と嘘と不確実性

脳が「現実」を作り出す

第1部:真実を問い直す

A. K. セス(英サセックス大学)

2015年,twitterなどのインターネットのSNS上で,撮影時の露出設定のおかしい一枚のドレスの写真が話題になった。ある人には青と黒の縞模様に見えるが,他のある人には同じドレスが白と金色の縞模様に見える。そして,どちらの人も自分に見える色こそが正しく,異なる色に見えるなんておかしい,と主張した。

 

私の見ている現実と,あなたの見ている現実は異なるかもしれない。このようなことは日常のそこかしこで起きている。同じ長さの2本の直線が違う長さに見える錯視はその一例だ。通常,錯覚は知覚の回路が持つ癖が原因で起こり,そのために私たちが知覚しているものが実際にそこにあるものとずれてしまうと説明される。しかしこの現象のもっと深いところには別の真実が潜んでいる。知覚は決して,客観的現実に対して直接開かれた窓ではないのだ。錯視は,この深い真実を少しだけ垣間見ることのできる窓という点で,映画『マトリックス』に描かれた仮想現実の裂け目のようなものなのだ。

 

私たちのすべての知覚は能動的に構築されたものである。私たちが知覚する現実は,外部の客観的世界を直接に反映したものではない。むしろ,入ってきた感覚信号の原因について,脳が行う予測から生まれたものだ。目や耳から入ってくる画像や音声の情報の原因を予測する過程で,私たちの「現実」は生まれる。それは本質的には幻覚と変わらない。現実を「制御された幻覚」だする考え方を裏付ける証拠が,近年様々な実験で得られている。その実験の一端を,今回の紙面上で読者の方も体験することが可能なので,ぜひ試してほしい。

著者

Anil K. Seth

英サセックス大学の認知・計算神経科学教授で,同大学のサックラー意識科学研究所の共同所長。研究テーマは意識の生物学的基盤。

関連の別冊
別冊日経サイエンス198『脳が生み出すイリュージョン

サイト内の関連記事を読む