日経サイエンス  2019年8月号

特集:実験で迫る量子世界の深奥

あえて常識を問い直す

細谷曉夫(物理学者)

この特集に収められた2編の記事は,両方とも常識的な物理の話ではないことを,まず断っておく必要がある。

 

1本目の「時空の量子化をとらえる」は量子重力の効果を検出する卓上実験の解説である。だが,少々この分野を聞きかじった人であれば,「到底無理だろう」と思うに違いない。時空の離散性は,0.00000…(0が33個)…1cm(これをプランク長と呼ぶ)という極微の世界でようやく姿を現す。実験ではバクテリアのサイズの金の球を使うとしているが,その程度の小ささではどうにもならない,と思うのが普通である。だが,量子的な性質にはもう1つ,昨今注目の量子情報技術の核となる「量子もつれ」がある。遠く離れた2つの粒子が相関して振る舞う現象で,かつてアインシュタインを当惑させた代物である。

 

重要なのは,量子もつれは極微の世界でも観測できるということだ。仮に「重力による量子もつれ」があることが実証されるならば,重力も量子力学の埒外にいる傍観者ではなく,量子ゲームのプレーヤーであることの証拠になる。量子もつれは2つの粒子の距離がプランク長よりずっと長くても生じるので,ひょっとすると卓上実験で見つかるかもしれない。

 

2本目の「波動関数の収縮は物理現象か?」もまた,一風変わった実験を解説している。量子力学のいわゆるコペンハーゲン解釈によれば,観測していない物体の場所は「波動関数」と呼ばれる式によって,ある程度の幅を持って表されるが,観測と同時にその波動関数が「収縮」し,物体はどこか1カ所で検出される。だが記事に出てくる研究者たちは,波動関数の収縮は観測によってもたらされるのではなく,物体があるサイズに達すると自発的に起きると考え,それを見ようとしている。

 

そもそも波動関数の収縮は物理的な過程ではなく,測定器の針がどこをどんな確率で指すかを記述するものだ,というのが通常の理解である。多くの物理学者は,「そんな実験をしても,何も出て来ないだろう」と思うだろう。私も「何も出て来ないだろう」と正直思うけれども,「これは固定観念にすぎず,やってみなければわからない」という方が,科学として正論かもしれない。

 

2つの実験に共通することは,巨視的な質量を持つ粒子の位置の量子的な重ね合わせ状態を作ろうとしていることである。標準的な物理とは到底言えないが,単なる理論予想ではなく具体的な実験として提案されているところに価値がある。このような超基礎的な実験が,一流の研究所の複数で準備されつつあることに驚いた。近代科学発祥の地において,超長期の実験的研究に挑戦するヨーロッパの科学者たちに,深く敬意を払いたい。

 

時空の量子化をとらえる  T. フォルジャー
波動関数の収縮は物理現象か?  T. フォルジャー

著者

細谷曉夫(ほそや・あきお)

東京工業大学名誉教授。専門は宇宙物理学と量子情報科学。著書に『時空の力学 一般相対論の物理』(岩波書店)など。

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