日経サイエンス  2014年6月号

特集:世界の科学力

メキシコに見る問題点

E. バンス(サイエンスライター)

情報経済への飛躍に準備万端だったこの国は

いまなお頑固に脱皮を拒み続けている

 

 レイノー(Enrique Reynaud) は2008年,世界を手中に収めた気がしていた。メキシコ最大にして最有力の大学のベテラン教授である彼は,初めて起業しようとしていた。「バイオホミニス」というその会社はメキシコ版の23andMe(トウェンティスリーアンドミー)で,高血圧や糖尿病といった病気に関する顧客の遺伝的傾向を調べて提供する計画だった。

 メキシコにはテスココ近郊で「緑の革命」の口火を切った農学者ボーローグ(Norman Borlaug)にさかのぼる生命工学の伝統がある。バイオホミニスは多くの点で,その伝統の極致だった。遺伝子検査に使われるポリメラーゼ連鎖反応(PCR)を革新し,がんやメタボ問題,人間と家畜におけるウイルス感染を突き止める技術を開発しつつあった。

 このために同社は遺伝学者のドリームチームを結成した。2型糖尿病(メキシコでの蔓延ぶりは米国並み)の遺伝学の専門家であるマリアテレサ・トゥシエ=ルナ(María Teresa Tusié Luna)が顧問となり,脳疾患の遺伝学の専門家でNature Biotechnology誌に論文を発表したイザベル・トゥシエ=ルナ(Isabel Tussié Luna)が最高執行責任者に就いた。そして製薬設備を建設するメキシコ最大の建設会社を創業したロドリゲス(Eduardo Valencia Rodríguez)がビジネス面の責任を負った。

 メキシコ政府も同社を後援した。政府の役人たちは同社設立の何年も前から,メキシコが単なる安価な労働力の供給源から技術リーダーへと脱皮するにはまさにバイオホミニスのような企業が必要なのだと,レイノーに語っていた。政府は約50万ドルを出資して創業を支援した。

 それでも不十分だった。メキシコは結局のところ,レイノーたちに残酷だった。創業から2年後,バイオホミニスは破産手続きに追い込まれた。ドリームチームの面々は散り散りになった。

 あれほど有利な立場にあった企業が,なぜこんな残念な結果になってしまったのか? バイオホミニスの例は,シリコンバレー流のオープンで実力主義のやり方とは多くの点で正反対の国に技術革新の文化を浸透させることがいかに難しいかを物語っている。

 科学研究は活発なのに,メキシコはそのノウハウと才能を自国の製品や技術,ベンチャー企業に生かせないでいる。低賃金・長時間労働と所得格差の悪循環から脱しようともがいている中所得国はメキシコだけではないが,メキシコはおそらくどの新興経済国よりも情報経済へ飛躍する用意が整っていた。そして現在もなお頑固に脱皮を拒み続けている。

 

活気から沈滞へ

 メキシコ経済は経済開発の専門家を困惑させてきた。同国の中産階級を輩出してきたとされるメキシコ国立自治大学(UNAM)は30万人以上の学生を擁する西半球で最大級の大学であり,研究部門も活発だ。政府によると,メキシコの大学を卒業する技術者の数は毎年13万人。初期のカラーテレビや避妊薬を発明したのはメキシコ人科学者であり,オゾンホールの特定にも貢献した。

 しかし,かつて有力だった科学研究機関が他国に追い抜かれ沈滞していることが,あらゆる指標に表れている。アルゼンチンとチリがすぐ後に追い迫っている。ブラジルは科学・技術にメキシコの3倍の資金を投じ,大学はメキシコよりも上位にランクされている。韓国は米国の大学に人口当たりでメキシコの10倍の学生を送り込み,トルコの論文発表数はメキシコの2倍近い。一方,ひどい麻薬戦争がメキシコ北部をズタズタにし,腐敗が横行し,特許取得や起業は遅々として進まない。

かつて有力だった科学研究機関が

他国に追い抜かれ沈滞していることが

あらゆる指標に表れている

 かつて活発いま泥沼というメキシコ技術革新の分裂症的な現状は,近年大統領に選出されたペーニャ=ニエト(Enrique Peña Nieto)政権の政策綱領で大きな部分を占めている。彼はよりテクノロジカルなメキシコを約束し,技術革新重視で知識を基礎とする経済を育てようとしている。まず資金から始める計画だ。メキシコは科学・技術に国内総生産(GDP)のわずか0.4%しか投資していない。米国の投資はGDP比でこの7倍になる。

 だが,メキシコの技術革新の機能不全の背景には,単に資金ではなく,より根深くかつ広範な問題がある。メキシコでは技術革新が3つの異なる段階でストップする。①発明が単なるアイデアである初期段階②科学者・技術者が企業を設立してその考案を製品化しようとする中期段階③考案が失敗に終わり,再びいちから始める最終段階――の3つだ。バイオホミニスは中期段階で問題にぶつかったので,この段階から見ていこう。

 

中期段階での挫折

 レイノーらは政府からの資金を使い切る前に,少数の堅実な製品を売って収入を得ていた。経営が安定するまでの策として彼らは民間の投資家を探したが,出資者は見つからなかった。ほとんどの投資会社はバイオホミニスが提供しようとしている事業を理解できなかった。

 「技術と聞いて彼らが思い浮かべるのは,インドのバンガロールかどこかでのソフトウエア開発なのだ。彼らはソフト工場を求めている。それが彼らに理解できるものだから。トラック輸送会社や物流企業を求めている」とレイノーはいう。「サービス会社がお好みなのだ。メキシコで投資家から資金を得たいと思ったら,床掃除の作業員を雇うことだ。彼らが理解するのはその手のビジネスなのだから」。

 資金不足が問題なのではない。メキシコの1兆2000億ドル経済は世界で10番目の規模であり,年率3.5%以上の成長を続けてきた。世界一の富豪スリム(Carlos Slim)はメキシコ人だ。だが,バイオホミニスに興味を示した少数の企業は年間20%の利ざやの保証(これは無茶な要求で,創業したてのベンチャーには特に困難)または持ち株の拡大を求めた。

 レイノーに資金を出したのは,米国でいうベンチャーキャピタルではない。カリフォルニアでもどこでもベンチャーキャピタルは一般に様々な考案をつなぐ糊であり,事を動かし続けるための潤滑油となる。各社それぞれが専門の科学分野に理解があり,研究室や大学の学科とつながりがある。そして重要なことに,同時に多くのベンチャー(大半は成功せずに終わる)に賭けており,投資先が失敗したらそのまま立ち去る。

 メキシコの民間投資会社はそうはなっていない。現在メキシコに存在するベンチャーキャピタルはたった15社ほど。それでも2008年の2社に比べれば前進だが,しっかりしているのは4社にすぎないと考えられている。全社合わせても,2011年の投資額は4億6900万ドル,件数にして25件だった。これに対し米国では,サンフランシスコ周辺だけで同年の第1四半期に22億ドルが投資されている。

後れをとるR&D投資 (クリックで拡大)

後れをとるR&D投資

 レイノーはベンチャーキャピタル探しが頓挫したため再び政府に支援を求め,政府はさらに50万ドルを拠出した。だが,政府というものはベンチャーキャピタルとしては最低で,メキシコ政府も例外ではない。提供された資金は奇怪なまでに使いにくかった。バイオホミニスは年間を通じまず自社で支払いを行い(大部分はレイノーらオーナーが私的に借り入れたローンで賄われた),年度末に政府資金で補填を受けた。多額の税金を避けるため,同社は年間相当分の資金をわずか2~3カ月の間に支出しなければならなかった。さらに,この資金の用途は研究開発に限られ,一般経費には使えない。そのうえで税金をいったん納め,後に還付を受ける必要があった。

 ネスレや通信大手のテルメックスといった大企業なら,こうした補助金を肥大した研究開発予算のなかに組み込むことが可能で,支払い日程にもあまり気を使わずにすむだろう。しかし,毎月毎月の自転車操業を続けている新興企業の場合,これらの制限は致命的だ。レイノーは補助金を素早く使うことができず,その一方で日常の運営経費を賄うため借金まみれになった。

 支援と専門技術,育ち始めた収入の道があったにもかかわらず,バイオホミニスは2012年12月に廃業した。同社をつぶしたのは結局のところ製品やマネジメントや市場というよりも,不器用に支援しようとした政府だったといえる。バイオホミニスは無数のお役所仕事に傷つけられて少しずつ出血し,悲しき死へとゆっくりと追いやられたのだ。

 「メキシコ国立自治大学には非常に優秀な科学者がいる。だが,それらを適切に結びつけて架け橋を築く人,技術とビジネスの両面を理解している人がいない。そうした資質はベンチャーキャピタルならではのものだ」と,シリコンバレーとメキシコの両方で仕事をしてきた投資家のサンタクルース(Carlos Santacruz)はいう。

 

スタート時点で立ち往生

 それでもバイオホミニスはまだ幸運だった。少なくとも投資者がいて,倒産前にいくらかは事業を行っていた。多くのベンチャー企業はそこまでいかない。文化的な障害にぶつかるからだ。自国育ちの技術に対する不信と,北隣の米国に対する劣等感である。

 メキシコ企業は何かの問題にぶつかると,解決策を米国やヨーロッパの企業に求める傾向がある。「メキシコで技術開発はできない,という作られた神話が存在する」とエンデバー・メキシコ(途上国での技術革新を支援するエンデバー・グローバルのメキシコ支部)の理事長アギラー(Pilar Aguilar)はいう。「実際には化学プロセスや人工知能を用いた非常に革新的な技術がある。だがメキシコ企業の最初の反応といえば『本当に? メキシコでやっている? そんなことが可能なのか?』というもの。最良の技術はどこか他国からくるという考えが染みついてしまっている」。

 同様に,メキシコ人科学者は何か新しいアイデアを思いつくと,まず海外で会社を興す傾向がある。物理学者モンテス・デ・オカ(Horatio Montes de Oca)の場合もそうだった。彼は大学の学部生時代までをメキシコで送ったが現在はアイルランドに住んでおり,腱や靭帯の修復・再建に使えそうな素材を数年前に考案した。彼はメキシコのケレタロ州にある大学とこの素材を共同開発しようと考えた。

 だがこの大学は,どう共同すればよいかがまったくわからなかった。学外の起業家と提携するための手続きや規則がなく,それらを定めるには何年もかかるだろう。メキシコ国内の他の大学の答えも同じだった。モンテス・デ・オカは両親も学者だが,肩をすくめてこういう。「メキシコの学術機関は資本主義システムに応えるために作られたものではなく,全然そうなっていない。起業するなら,きっぱり決断する必要がある。『ここでは事が進まない。メキシコでやりたいところだが,5年も待ってはいられない』とね」。

 モンテス・デ・オカは最終的に英国の研究所と組んで彼の発明品を開発した。これは意外な話でも何でもない。ほかにも国外に暮らす何十万人ものメキシコ人研究者が秀逸なアイデアを抱き,気まぐれの感傷と愛国心,郷愁にかられて,その考案を母国に持ち帰ろうとする。しかし一連の障害が彼らを米国とヨーロッパに押し戻してしまうのだ。

 メキシコにおいては,大学が産業界に助力すべきである(研究協力でも新企業の育成でも)という考え方はまだ新しく,一般的とはとてもいえない。実際,大学教授の給与は勤続年数と論文発表数に応じて決まり,特許取得や起業に対するインセンティブはない。たとえ特許を取得しても,権利保護が甘すぎて考案は他者に真似されるだけだ。この結果,大半の研究は非常に理論的で,インフルエンザワクチンなど実際的なものになるとメキシコ政府は他国をあてにする。2009年のH1N1型(豚インフルエンザ)発生の際もまさにそうだった。

「化学プロセスや人工知能を用いた非常に革新的な技術がある。

だがメキシコ企業の最初の反応といえば

『本当に? メキシコでやっている? そんなことが可能なのか?』 だ」

 

 メキシコ国立自治大学の地球物理学者マリン(Luis Marin)はそうした状況を毎日目にしている。1990年代初め,マリンはユカタン半島にある巨大なチクシュルーブ・クレーターが恐竜を絶滅させた小惑星衝突の現場であることを突き止めた研究に加わった。現在,年間3本を超える論文を発表しており(彼によると同大学の平均の8倍に相当),副業として清涼飲料水製造のために地下水を探しているコカ・コーラなどの企業から水源探査を受託している。

 このビジネスが拡大するにつれ,彼は大学の同僚から村八分にされた。彼は個人的に協力してきた長年のやり方を改め,このプロジェクトを大学の事業に移管しようと試みた。しかし軌道に乗るまでに予算の半分が管理費に消えてしまったため,彼は計画を簡素化して学長直轄の事業とした。これに対し同僚たちは,彼が学科に対して背信行為を働いていると一致して批判した。彼はこの大学の教官になって23年にして初めて,翌年の給与を決める勤務評定で悪評をつけられた。

 彼はメキシコシティ南部にある大学の小ぢんまりした自室で,来年もここにいるかどうかわからないと語る。彼はウィスコンシン大学の科学者スティーンボック(Harry Steenbock)が1923年に食物に放射線を照射したうえビタミンDを添加することでくる病の治療に役立てる技術を開発し,その技術が生んだ多額の特許料収入でさらなる研究を進めたことを思い起こす。「それこそが進むべき道なのだ。だがそのために多少の時間を使ったら罰せられる。評価されるどころか,罰せられるのだ」と彼はいう。「ここでは科学者が特許を取得しても経済的に得られるものははっきりしない。むしろカネを失い,同僚からはよく思われない」。

 

リスクを嫌う文化

 メキシコが克服しなければならない最大の障害は,おそらくリスクに対する不寛容だ。シリコンバレーでは,失敗は後の成功への布石だとみなされる。だがメキシコでは違う。「メキシコの人々は全ての投資が実り,投資先が大企業に成長して次代のメキシコ大家族の一員になる必要があると感じている」とグーグル・メキシコ社長のスラウ(Pablo Slough)はいう。「そんなふうにはいかない。メキシコに欠けているのはここだと思う。ともかく賭けてみよう,というほどよい寛容さがないのだ」。

 グーグル・メキシコのオフィスはカリフォルニアのネット企業を一部そのまま切り出してきた風情で,保守的なメキシコにはおよそ場違いな感じがする。スラウは人をそらさぬ話しぶりのカリスマで,身なりも行動もシリコンバレーの起業家そのものだ。生まれはアルゼンチンだが,ほとんど主義としてメキシコ企業に投資している。歴史的に見て,メキシコの大企業は国策企業であるか(国営石油企業ペメックスなど),以前は国営の独占企業だったものが民営独占企業に少し変わったもの(通信大手テルメックスなど)のいずれかだとスラウはいう。この歪んだ市場が,見返りの保証を不合理なまでに求める投資文化を生み出しているとみる。

 スラウは最近,空気を入れて膨らませる子供向け携帯遊び場を作った小さな会社に投資した。この会社はうまくいかなかったが,彼は気にとめずに次の投資先を探した。だが,他の投資家たちがこの会社を創業した2人の若いスタンフォード大学卒業生に対して述べたことを知って,彼はショックを受けた。「2人は厳しく非難されたのだ」という。「この国では失敗のリスクが一大事なのだ。米国なら,会社を始めてそれが失敗しても誰が気にするものか。別のを始めるまでだ」。

 おそらくこのためだろう,メキシコ証券取引所に過去5年間に新規上場した企業はたった17社にすぎない。これに対しニューヨーク証券取引所には2013年の上半期だけで85社が新たに上場した。

 投資家の不在あるいは敵対的投資家の存在,頭にくるお役所仕事,そしてリスクを嫌うビジネス風土――このため,メキシコは世界で最も頭脳流出の激しい国のひとつとなっている。メキシコは中南米諸国のなかで米国の大学・大学院に最も多くの学生を留学させているが,才能が海外に渡った場合,帰ってこないこともある。ある調査によると,Ph. D.を得たメキシコ人の70%以上が帰国しないままとなっているようだ。

 ペーニャ=ニエト政権もこの問題を認識している。2012年の国政選挙で国会議員たちは,研究者や国外在住者のネットワークと連絡を取って協力を求め,海外で暮らすメキシコ人を支援したり少数でも帰国を促したりする計画であると述べた。ごく一部の一流大学・研究機関を除き,メキシコの科学者の給与や待遇は米国とは勝負にならない。

 「現在やっているのと同じことがメキシコの研究センターでできるのなら,学位取得研究で行ったことやこれから成し遂げようとしていることが可能であるなら,私はメキシコにとどまっていただろう」と,英メキシカン・タレント・ネットワーク社の社長メンドーサ(Pablo Mendoza)はいう。「他国に見られるような可能性がメキシコにもしあったなら,多くの在外メキシコ人が帰国するだろう」。

 実際,こうした流出頭脳はメキシコにとって最大の資産といえるかもしれない。私が話を聞いたメキシコ人科学者はみな,いずれはメキシコの科学を支えるために帰国したいと考えていると語った。メンドーサの会社のほか数十の国外在住者協会があり,ニュージーランドからドイツまで,メキシコ出身の科学者・起業家を結んでいる。

 

緑の若枝

 メキシコはその分裂症的な特徴通り,一方では多くのサクセスストーリーも生み出しつつある。New York Times紙によると,2012年のメキシコのITサービス輸出額はインド,フィリピン,中国に次いで世界第4位だった。国際IT企業ソフテックの最高経営責任者トレビーニョ(Blanca Treviño)はメキシコがまさに情報経済を花開かせようとしていると確信する。

 クエルナバカにあるバイオ技術センターやトルーカの自動車技術など,メキシコの研究開発拠点は部分的にコナシット(CONACYT)が主導している。コナシットはメキシコの主要な科学研究費助成母体で,米国でいえば全米科学財団(NSF)のようなものだ。政府が技術革新を命じることはできないという見方もあるが,コナシットの技術センターの多くはモンテス・デ・オカやレイノーが直面した障害を克服している。実際,次に豚インフルエンザワクチンが必要になった際にはメキシコは再び米国を頼りにするだろうが,サソリやクモの毒の解毒剤といった医薬品では,逆に米国がメキシコに依存することになりそうだ。

 メキシコの未来はペーニャ=ニエト政権の技術革新促進策の成否によるといえるだろう。彼は自分をシリコンバレーの新米リーダーと位置づけている。しかしその一方で,コナシットの助成金を政治的ひいきで分配するという過去70年以上にわたって強く支配してきた慣行の力を手にしており,これはシリコンバレーの実力主義と起業家の価値観とは正反対だ。

 だがペーニャ=ニエト政権がすべてではない。しだいに多くのメキシコ人が政府頼りのモデルを捨てて自立し,新しい道を進み始めている。そして障害を少しずつ減らしつつある。例えばレイノーは諦めていない。「事業を3年半続けられていたら,おそらく150万ペソ(約1200万円)は稼いでいたろう」という。研究室と市場の間に横たわる“死の谷”を「もう少しで抜けられるところだった」。

 もう一度やってみる気はあるだろうか? 「ある」と彼はいう。「よいアイデアを思いついたらまた挑戦する。多くを学んだから,次は違う結果になるだろう」。そしてやや神経質に笑った。(編集部 訳)

著者

Erik Vance

メキシコシティを拠点とするサイエンスライター。

原題名

Why Can’t Mexico Make Science Pay Off?(SCIENTIFIC AMERICAN October 2013)

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