日経サイエンス  2014年1月号

特集:量子世界の弱値

「光子の裁判」再び 波乃光子は本当に無罪か?

細谷曉夫(東京工業大学)

 「私は二つの窓の両方を同時に通りました」。被告・波乃光子の供述は真か偽か。法廷で現場を再現する実地検証が始まった──ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎は1949年,一般読者に向けて「光子の裁判」を著し,量子力学のダブルスリット実験の不思議を,法廷劇の形を借りて語った。

 

 光子などのミクロなどの物体は,測定されるまではさまざまに異なる状態を同時に取っているとされる。1個の光子は右のスリットと左のスリットを同時に通り,両者が互いに干渉する。従って1光子の実験を繰り返すと光子が決して到達しないところができ,光の縞模様が現れる。原作では量子力学の代弁者である弁護人が,実地検証に基づいて,光子が「誰も見ていない時に限って」二つの窓を同時に通ることを実証し,勝ちを収めた。

 

 だが,1人しかいない光子が2つの窓を同時に通るとはどういうことだろうか。これまで物理学者の多くは,それは「問うてはいけない問題」だと見なし,正面から論じてこなかった。

 

 しかし状況は変わりつつある。実はこの裁判では,重要な事実が見過ごされている。それは「光子がどこで捕まったか」だ。実地検証では光子のあらゆる行き先が調べられたが,光子が実際に捕まったのは,そのうちの1点だ。そして,光子の最終的な目的地に着目することでそれ以前の経路についての情報が得られることが,物理量の新たな概念「弱値」の研究からわかってきた。

 

 波乃光子は本当に無罪だったのか? 「光子の裁判」の第2幕が始まる。

 

 

 

【特別WEB付録:無料配信】 もうひとつの「『光子の裁判』再び」

再録:別冊日経サイエンス199「量子の逆説」

著者

細谷曉夫(ほそや・あきお)

東京工業大学名誉教授。相対性理論から量子情報まで守備範囲は広いが,最近は特に弱値の基礎的な側面に関心を持っている。昨年東工大を退職したが,3つの大学で教え,地域のサイエンスカフェで宇宙と物理学について講演するなど,「前よりも忙しくなった」。大の猫好き。特集「量子世界の弱値」表紙の猫のイラストの原案も手がけた。

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